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震災に『向き合う』ことで訪れた心の変化と、震災遺構としての課題 -浪江町職員-

震災後の請戸地区

 

震災後に東奔西走する母をみて感動し、改めて尊敬

3月中は、米沢や喜多方の親戚にお世話になりながら過ごしていましたが、その間も母は自身が受け持っている1年生の安否確認をしきりにしていました。

 

また、1年生に限らず、他学年の子でも、過去に受け持った別の学校の子でも、近くの体育館にいるらしいと分かればすぐに顔を出して様子を見に行っていました。

 

震災後、母は子供たちの安否やその家族の安否を日々気にしていました。
当時、若い先生が携帯で掲示板を作ってくれた。母は、生徒やその家族が書き込んだ「私たちは無事で、今〇〇避難所に避難しています」といった内容をみて、近くの避難所だったら様子をみに行っていました。

 

車で生徒たちが避難している避難所に向かう時は不安げな様子だった母が、様子をみに行ったあとはほっとしている姿をみて、やっぱり実際に自分の目で見るまでは不安だったんだろうなと。

 

このとき、教師としての母の一面を見て感動し、改めて尊敬しました。自分はその当時学生だったので、自分のことを考えるので精一杯で周りまで全然意識が回らなかったんですよね。

 

自分や家族のことよりも、学校の子供たちを気にして動いていた母の姿を見て、尊敬したし感動しました。

 

きっかけは偶然。震災遺構の整備に携わる

震災遺構として整備していくことに携わるきっかけは、ただの人事異動です。(笑) 浪江町の場合、異動に関して希望調査といったものはとりません。

 

そのため、2月下旬〜3月になると、ある日突然、異動する職員の新所属(課名のみ)の内示が出ます。私は、それにより教育委員会事務局への異動が命じられた訳ですが、その中でどの係に所属するかは、新年度に所属する係長以上職の方々で決定することとなっており、その会議の結果、たまたま郷土文化係に配属になった、というものです。

 

そのため、私が自ら進んで『この業務に携わりたいです』と申し出たわけではなく、母が請戸小で教師をしていたことを知っている方も少なかったので、ある意味運命的な人事異動だったと感じています。

 

浪江町のために働きたいという気持ちは強かったけど、 入ったばかりの頃はあまり震災関連のことに携わりたくない、できるなら触れないで過ごしたいという風に思っていました。 

 

そういうジレンマはあるものの、請戸小の遺構のオープンに携わると決まった時に、意を決していろいろ調べたりとか、 今まであまり関わってこなかった震災の中身についても触れていこう と思って、そこで当時働いていた先生・通っていたお子さんの話を聞いて、「伝えていくこと」「残していくこと」の大切さを実感しました。

 

震災には向き合いたくない自分がいた。でも向き合うことで気持ちの整理がついてきた

<現在の請戸小学校外観>

請戸小を遺構として残す事業に関わると聞いた時は、あまりその方向にいくとは思っていなかったので正直驚きました。

 

今までになかった遺構の立ち上げのタイミングに携われたのは、非常に感慨深いものですよね。ましてそこが母が勤めていた場所だったので、とても縁を感じています。震災以前は、請戸小が母の勤務先ということは知っていたが、足を踏み入れたことはありませんでした。

 

やはりそれまで(震災遺構の事業に携わる前まで)は、震災のことはあまり考えたくないという気持ちがなんとなくありましたし、役場の業務でも色濃く震災に関わる仕事はありませんでした。

 

 この請戸小の事業が、初めて震災と強く向き合う場となりました。 向き合うことで気持ちの整理が少しつきました。そういう風に思えたのは、請戸小に通っていた生徒や先生と話したからです。
というのも、被災をした人の中には自分と同じく「震災についてあまり考えたくない」と思っている人が多かったんです。

 

そういった人たちと話すことで、「私だけではないんだな」と思えましたし、「母の勤めていた学校を残して、多くの人に見てもらおう」という決意ができました。この業務に携われたことは自分自身いいきっかけだったと思います。

 

今後の課題は、維持保存。ありのままを見せることの難しさ

請戸小のコンセプトは 「ありのままを残す」 ということ。

 

どうしても請戸小は雨風に常に晒されるような建物。必然的に劣化していきます。そこを震災からの時の経過だと見せていくことが「ありのまま」を見せることだが、見学者の方の安全を考慮すると維持や修正が必要になってきます。

 

しかし綺麗に直してしまうと全然違う建物になってしまうので、元々そこに生活があったってことも見えるようにしながら、なるべくありのまま残していくという絶妙なラインを保つのが難しいと感じています。

 

また、自然の魅力はいつの時代も変わりませんが、 時に牙を向くことを忘れないでほしいです。 

 

浪江町は、海も山もある自然豊かな町です。東日本大震災及び原発事故により甚大な被害を受けましたが、復興・再生へ向けて日々進化しています。そうした中で、震災を忘れない・防災意識をもつことを目的として、請戸小は整備・保存され、一般公開されています。


実際に被災した学校を訪れていただき、展示されている震災前の人々の暮らしや震災の記憶から、 いま自分たちが暮らしている地域ではどういった災害が起こりうるのか、また災害発生時にはどんな行動をするべきか など、考えるきっかけとなれればと思います。

 

「向き合う」ことで、新しい発見がありこれからを考えるきっかに。

 

プロフィール

玉川宏美さん

浪江町出身の浪江町職員。震災当時に母が請戸小学校(以下、請戸小)に勤務。
2022年4月1日から浪江町から福島県庁へ派遣となり、現在は福島県庁に勤務。
派遣前の2020年4月1日〜2022年3月31日までは、浪江町役場教育委員会事務局郷土文化係に所属し、請戸小の震災遺構としての整備工事や開館・運営業務に携わる。